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2007年12月03日

かかし王子の作曲の経緯


このようにかかし王子は出来ているんですね。
すばらしいと思います。

1912年、ブダペストでセルゲイ・ディアギレフ率いるバレエ・リュス(ロシア・バレエ団)の公演があり、その時の演目にはイーゴリ・ストラヴィンスキーの《ペトルーシュカ》が含まれていた。バルトークはその公演を観ていないようだが、ブダペスト歌劇場の支配人ミクローシュ・バーンフィ伯爵は、バルトークにペトルーシュカのようなバレエ作品を依頼することを思いつく。 バーンフィ伯爵はつい最近コンペティションに提出されたバルトークのオペラ《青ひげ公の城》を却下したばかりだったので、恐らくバルトークを手助けしたいという気持ちが働いたようだ。

1912年12月16日に、ハンガリーの文芸誌ニュガトに『かかし王子』のシナリオが発表された。作者は《青ひげ公の城》の台本を書いたバラージュ・ベーラ(1884年-1949年)。バラージュの言うにはバルトークのために書かれた台本だという。バルトークもまた《青ひげ公の城》という作品を看過されたことが、《かかし王子》を書く契機になったと言っている。またバルトークは《青ひげ公の城》と《かかし王子》を一晩で上演したいという願望も持っていたが、これは実現しなかった。

バルトークは1914年に作曲を開始するが、完成は1917年になる。この時期、バルトークは公には作曲活動から退いており、民謡採集などの研究を中心に活動するのみになっていた。また第一次世界大戦による政情悪化も影響した。しかしルーマニアの民俗音楽からの編曲作業などが契機となり作曲活動を再開。1915年には平行して《弦楽四重奏曲第2番》の作曲も始めている。

初演はバーンフィ伯爵の尽力で、バルトークの作品では異例なことに完成後速やかに行われた。イタリア人指揮者エギスト・タンゴも勤勉に作品に取り組み、公演は大成功を収め、その後も度々再演されるなどの人気作になった。この成功のおかげで、それまで演奏の機会が与えられなかった《青ひげ公の城》も翌年1918年に初演される。

引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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